愛知・岐阜はやきものの大産地!

こんにちは、好物は日本の伝統工芸、ブログ担当のムラユミです!
普段は会社員の私、突然10日ほどのオフがもらえたので どこへ旅行に行こうかと楽しく思案しております^^

さて今回は、わにぞうさんから『伊万里の器をテーマに』という提案をいただいたのですが、調べものをしているうちに気が変わりまして・・・。というのは、九州あたりで食器のことを「からつもの」と呼ぶと知り、私やわにぞう商店の地元・愛知の「せともの」と繋がりを感じました。そして「からつもの」と「せともの」、そして私たちの住む愛知県から岐阜県(三河・美濃)の陶器の話に立ち寄ってみたくなったのです。

唐津物と瀬戸物

周知のとおり、やきものには「陶器」と「磁器」の2種類があります。粘土質の陶土を焼成して作るのが柔らかい印象の「陶器」、磁土(石の粉)を原料に高温度焼成するのが硬い「磁器」です。
たとえば唐津焼や信楽焼など土っぽさがあるものは陶器、伊万里焼や清水焼など爪で弾いて高い音がするものは磁器となります。

磁器を九州で作られ始めたのは16世紀頃、朝鮮の陶工から技術が伝わってからのことです。しかしそれ以前の九州でやきものと言えば、薄鼠の地に錆絵で知られる唐津焼(陶器)が馴染みの「からつもの」でした。

一方「せともの」も食器など陶磁器の代名詞として使われます。私は幼いころ「せともの」はかつて瀬戸一帯で作られたやきものが全国各地へ売られて行ったからついた呼称だと祖母から聞き、なんだか嬉しくなったのを憶えています。幼心に皆が毎日食事で使う食器が自分の住む地元の名で呼ばれていることを妙に誇らしく思ったのでした。

愛知のやきもの、せともの

「せともの」というと、真っ先に思い出されるのは骨董市にずらりと並ぶ古い印判手でしょうか。それまでの手描きの絵付けでは難しかった量産がプリント的技法の開発で飛躍的な進歩を見せ、急速に磁器が庶民の食卓に広まって行きました。それゆえ今に残る品はたくさんあり、骨董の世界で瀬戸物はさほど高値がつかない所以になっております。それでも香の物などのせると抜群の相性の良さを発揮、現代の器に比べてやや拙い染付風のプリントが可愛らしく感じてくることと思います。古い「せともの」は身近で実用的な骨董品ですね。

そもそも瀬戸あたりは良質な陶土に恵まれ、備前や信楽・常滑とともに知られる“六古窯”よりもずっと前、なんと古墳時代から陶器が焼かれている生粋のやきもの産地です。最も初期は猿投窯。須恵器(古墳の出土品に見られる土器)から奈良、平安を経て鎌倉時代初期まで作り続けられたそうです。5世紀半ばに朝鮮から技術が伝わって以来、ただ素焼きしただけものから植物の灰(釉薬)をかけたもの、薄手に作られた山茶碗、と変化を遂げてゆきました。そして室町から安土桃山は瀬戸窯の時代、窯は大規模になり茶碗や皿などの高級な日用食器が作られるようになりました。瀬戸窯後期は「わび茶」の時代。近くの美濃(岐阜)では志野、織部、瀬戸黒や黄瀬戸などといった今に知られる茶陶がたくさん焼かれました。

「せともの」と呼ばれるものは自然釉の壷から織部茶碗、磁器の食器、などと時代とともに移り変わってゆきました。日本のものづくりの産地は、その時々のニーズに合わせて作るものを変えて時代を生き続けてきたのだなぁとしみじみ感じ入ってしまいます。
モノを通してその奥に佇む時代背景や作り手の生活に思いを馳せてしまうのは、骨董好きのクセみたいなものかもしれませんね。。

ちょっとばかりお話が長引きましてスミマセン!
次回はもっと くだけて参りたいと思います~(^ω^)